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赤目無冠のぶろぐ

アニメ、将棋・麻雀、音楽(作曲、DTM、ベース)、思想など

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魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A's~エヴァやハルヒとの意外な共通点

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魔法少女リリカルなのは The MOVIE 2nd A'sを見て思ったことを書いておきます。

新宿ミラノで2回見てきました。ちょっと駆け足気味の内容でしたが、なかなかでした。
(ただ、個人的にはTVアニメ版の方が丁寧だったかなぁという感じはします。セリフのカットが多いし、フェイトの登場の仕方も変わっていましたし。)

パンフレット(1000円)も買いました。いずれまとめてみようかと思っています。

で、以下が本題。特に①を読んで欲しい。

本作で感心したのはエヴァンゲリオン涼宮ハルヒシリーズなどで見られる常套手段が部分的に使われている点。

具体的には、フェイトが優しい母親もアリシアもいるユートピアを与えられながらも、強い意志で「これは夢」と悟り、アリシアに別れを告げて現実に立ち向かおうとするシーンです。
これって要するに、「当初は与えられたある一つのユートピアに幻想を抱き、甘えていたけれど、やっぱり元の世界に戻らなくてはならないと途中で悟る」ということですよね。

実はこの考え方はエヴァやハルヒでも使われていて、エヴァの場合は、
当初は人類補完計画という大人の事情でいろいろ振り回されていたものの、いざ、みんなが生命のスープになって溶け合ったところに来たら違和感があったため、やはりたとえ他人という恐怖があろうとも自分が自分のままでいる現実世界の方がいい」とシンジ自らが決断する話でした。簡単にまとめるとそういうことです。

ハルヒの場合は「当初は閉鎖空間を作ってそこで遊んでいれば楽しそうだと思ったが、いざそれを目の前にして、やっぱり元の世界がよかった」とキョンが思う話ですね。あるいは「ハルヒが好きだということに改めて気づく」でもいい。
上記は憂鬱の場合で、消失はそれに長門の恋心も入れてよりコンパクトにしています。
アニメ版での涼宮ハルヒのテーマは一言で言うと「好きだという再認識」でしょう。

つまり、「あるユートピアを夢見る」→「それを達成する(あるいは与えられる)」
→「いざ目の前にして、これは自分が本当に望んだことではないと悟る」→「現実へ」
という流れがいずれもベースになっているのです。
エヴァの言葉を借りれば「夢は現実の続き」「現実は夢の終わり」というパラドキシカルな葛藤があるわけですね。

この発想が本映画でも見事に活用されていて、「スタッフやるな~」と思いました。
正確には、TV版の時から既に絶賛していました。もういい年なので、泣くほどではありませんが、泣かせる理論というのは上記で述べたようなことです。
たぶん、コンセプトなどを相当話し合って作るのでしょう。そこだけ映画を見ながら感心していました。

スタッフはいろいろ見ているのでしょう。何に影響を受けているのか伺ってみたいものです。

そして、これは売れる作品を創る秘訣でもあると思います。
クリエイターを目指している人は私が書いたことを覚えておいた方がいいでしょう。あるいは既に知っているでしょうね。私に言われなくても。
感動を論理的に言葉で説明できるかどうか――この差があるだけで気持ちだけはすべての人が有しています。

あとはフェイト、ヴィータなどが魅力的でした。
萌えのみならず燃えがあるのがポイント。少年ジャンプなどに見られる「真剣勝負を通して分かり合っていく」という男性的な性格が本作には入っているわけです。
※これは私の意見ではなく、1stのパンフレットでメガミマガジンの編集長が書かれていた内容の影響を受けています。

以上、だいたいこんな感じです。