赤目無冠のぶろぐ

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プロテスタントのカルヴァンの二重予定説に関する疑問

ご存知の方もおられるだろうが、キリスト教はカトリックとプロテスタントとに分けることができる。
前者は昔からある宗教で、後者は新たに台頭した宗教である。
私はこの内のプロテスタントについて学生時代、少しだけ教わっていた。
しかし、一点だけどうしても理解できないところがあった。

それはカルヴァンの二重予定説の解釈である。
カルヴァンという人によると、救われる人と救われない人は最初から決まっており、現世での善行でそれを変えることはできない。…①
かなり奇異な考え方である。
というのも、通常の宗教は「信じる者は救われる」と言うことが多いからである。
しかしカルヴァンの考え方はかなり厳しく、救われない人もいると言っている。

その結果、自分が救われている者だと信じるために、禁欲的に働く者が増え、ヨーロッパは近代化したらしい。…②
この発想はヴェーバーの「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でも触れられているもので、非常に有名である。
いわゆる「世俗内禁欲」という言葉として語られることもある。

しかし、私はこの話の中でどうしても納得できない点がある。
何故、救われているとは限らないのに、懸命に働こうとするのか。
ここだけ理解できない。

①で示した通り、現世での善行で救われるかどうかを変えることはできない。
だとしたら、努力してもしなくても結果は既に決まっているのだから、頑張らない方が合理的である。
もし救われていたとしたら、コストゼロで恩恵を受けることができるし、
救われていなくても、コストをかけなかったのだから仕方ないと思える。
しかしコストをかけていたら、救われてようやくチャラだし、まして救われていなかったら骨折り損のくたびれもうけだ。
ゆえに①から懸命に働くという②を演繹することは論理的におかしいのではなかろうか(*)。

宗教学者は基本的な演繹ができないバカの集まりなのだろうか。
それとも私の解釈に何らかの誤りがあるのだろうか。

ここだけ今でも分からない。

かなりマニアックな疑問ですが、皆さんはこれに答えられますか?
何かご存知でしたら教えてください。



*…この理屈を数字で分かり易く説明する。
  現世での苦労(コスト)を1、救われていた場合の便益を1、救われていなかった場合の便益を0とする。
  そして人々は便益-苦労(コスト)=利潤を最大にするように行動しているとする。
  救われるか救われないかはそれぞれ50%ずつ(フィフティ・フィフティ)とする。

  現世で苦労しなかった(コストをかけなかった)場合:(1×0.5+0×0.5)-0=0.5
  現世で苦労した(コストをかけた)場合:(1×0.5+0×0.5)-1=-0.5

  よって言うまでもなく、現世で苦労しないで遊んで暮らした方が期待される利潤は高い。