赤目無冠のぶろぐ

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ニートスズキの思想~「ニートの正しさが理解されない現実を嘆くニートスズキ」

ニートスズキの思想をまとめてみたい。

ニートスズキとは、ニコニコ動画の伝説のニート(※1)である。詳しくは、ニコニコ大百科などを参照して欲しい。

※1…最近は派遣で働いたりしている。また、芸能事務所に所属していたこともある。従って、厳密には、完全なニートではない
   とはいえ、普通に就職して働いている一般社会人から見れば、ニート同然の存在なので、以下、彼を「ニート」として扱っていくことにする。

働かないことを全く恥ずかしいと思っておらず、非常にふてぶてしい態度をとる。それゆえ、しばしば批判される存在である。
常識的には、「こういう人間にはなってはダメだよね」という典型である。
しかし、愚か者が真実を語ることも時にはあるし、反面教師になることも多々ある。
頭ごなしに否定するだけでは、何も得られない。

そこで今回は、まず、「ニートの正しさが理解されない現実を嘆くニートスズキ」という動画をまとめてみたい。
彼はこの動画でニートであることを批判する人達に反論している。
以下、その内容を列挙していく。受け入れられる内容かどうか、各自で判断してみて欲しい。

まず、冒頭で彼は「(自分がニートであることで)親に迷惑をかけていると批判する者がいるが、あなたの親ではなく、私の親なのだから問題ない」と主張している。
いわく「(私が)他人の親に迷惑をかけているのなら申し訳ないが、私の親だから問題ない」。
さらに「家(うち)の親がかわいそうだと思うのなら、お前が家(うち)の親に金を寄こせ」とまで言う。

常識的とは言いがたい内容であり、暴言ともとれるが、一定の主張はある。
つまり、「人は人」であり、他所(よそ)の家の状況に他人が文句を言うのはマナー違反なわけだ。
各人は自分が自分の親に孝行しているかどうかのみ考えるべきであり、他家(この場合はニートスズキ家)の事情に介入してはいけない。
個人主義的な価値観が垣間見える。彼にとって、ニートは社会問題になっていないわけである。

彼にとってニート問題は他人にとやかく言われるような問題ではないようだ。
彼によると、生活保護などは税金なので問題だが、ニートは他の家でのことなので、問題ではないらしい。
まして彼の場合は、経済的に困っていないわけである(察するに、経済的に豊かな家なのだろう)。

その後、「経済的に困ることではじめて、ニートは『問題』ということになるわけであり、経済的余裕がある者にとっては、余計なお世話」と主張。
ニートを自立させようとするNPOなどの出所不明の団体の方がよっぽど胡散臭い」とも主張している。

私が労働を強要されるのは筋違い」「かわいそうだと思っている人は頭が悪い
いずれも強烈な主張。しかし一貫性はある。

次に彼は「働いている者がニートに働けということは、ニートが働いている者にニートになれと言うことと同じであり、それは排他的な押しつけに過ぎない」と言う。
いわく「ニート排除論者は自分の考えのみが正しいと思い込みすぎであり、上から目線である」。
確かに、問題の本質を真剣に見出そうとするのなら、対等な立場で話し合うべきである。

「むしろニートはいつまでも親と一緒にいるという意味で親孝行している。親もニートの子がいれば、働かなければいけないと思うので、生活にハリが出る。」
逆にいくら働いていても、親に顔ひとつ見せない者は親不幸である
世界親孝行コンテストがあったらニートが上位
ものすごいプラス思考である。発想の転換がすごい。
是非はともかく、こんな風に前向きに物事を捉えようとする力も時には必要ではなかろうか。

その後、「私が言っていることは正論であり、そう言えるのは哲学をかじっているからだ」と主張。
いわく「論理的な正しさと倫理的な正しさは違うものであり、ニートでも問題ないという自分の考えは論理的な発想である」。

ここで主張は哲学にまで飛躍する。そして論理倫理という概念を持ち出す。
一見、詭弁にみえるが、実はここで彼はとても大切なことを言っている。
つまり「ニートではダメだ」という考えは、どちらかといえば倫理観なのだ。
「こうであるべき」「これが望ましい」という社会規範によって、常識的に判断しているものであり、これは論理的なものではない。
論理は「~である」という文体が要求される。つまりこの場合、「人は働くものである」を証明する必要がある。
しかし、リスナーのほとんどは「人は働くべきである」という説得をしているだけで、それは倫理や規範を言っているに過ぎない。

しかし社会はニート=ダメ人間という前提で始まってしまっているため、受け入れてもらえない」と彼は嘆く。
これは現実的には、大多数の人は働かないと経済的に生きていけないからであろう。
経済的な境遇が人間の考え方さえ変えてしまうという主張はかの有名なマルクスも唯物史観などで部分的に触れている。

『まず働け』から始まる人間の方が実は何も考えておらず、人間ではない
たしかに思考停止である。私的には、ほとんどの人は、「そうしないと生きていけないんだ」という実践で判断しているのだと思う。

たとえば1+1は2であり、それには普遍性がある。しかし批判者は『いやいや、まず働け』しか言わない。
 正しいことを言っているのに受け入れてもらえない。


ニート=悪いから議論を始めていては話し合いにならない」 「まずニートとは何か考える必要がある

ニートも可能性として前提に入れるべき」「そういう覚悟の問題である

たとえて言うなら、ニートショップでニートを売ろうとしているのに、批判者は冷やかすだけで、
 そもそもお財布にお金を入れてこないのだ


~感想と考察~
どうも最初の大前提が彼と一般人は違うようです。
これに丁寧に答えるためには、彼が言った通り、哲学的素養がいるのかも。

ううむ、しかし、改めて言われてみると、論理的に「ニートはダメ」と言うのはかなり難しい。というか不可能?
働いた方が望ましいに決まっているという規範があるだけですから。

実際、古来からこの手の哲学者タイプのニートは僅かながら存在していたようです。
というか哲学者や思想家はニートに近い人が多いのでは? 正確には、高等遊民とでも言うべきでしょうか。
多分、こういう人は昔から胡散臭いと思われて揶揄されていたのでしょう。
でも、真正面から論駁した人がいないのもまた事実であり、それゆえ、こういうニートは昔も今も一定数いるわけです。

動画のコメントも、「顔がキモい」などの誹謗中傷ばかりで、彼の疑問に直接答える人は皆無でしたからね。
考えていないのは働いている方なのかな…むしろ考えることをあきらめて成立しているだけなのかもしれません。
ほとんどの人は、実践的な規範で生きているだけだということが、本動画の彼の疑問で浮き彫りになりました。

というわけで、今回は非常にセンセーショナルな話題でした。