赤目無冠のぶろぐ

アニメ要約・批評、仮想通貨(ビットコイン、モナコイン)、将棋・麻雀、音楽(作曲、DTM、ベース)、思想など

帰ってきたニートの一日の作者。詳しくははじめにへ。

なぜ私はネット社会で支持されないのか

なぜ私はネット社会で圧倒的な支持を得られないのか。今回はこのことについて考えてみたい。

多くの場合、支持を得られない理由は以下の2つだと考えられる。

1.自分の売り込み方(宣伝)が下手だから
2.1をやっても単純に自分に魅力がないから

実はこの問題については、当初、2が有力だろうと自虐的に考えていた。
そのため、なるべく無難な論を採用していた(つもり)。

しかし、ツイッターなどで周りの人間を把握するようになって見解が変わった。
むしろ魅力がまったくないアングラ寄りの気持ち悪い人間(あるいはそれを演じている人間)の方が、
ツイッター上においては支持される傾向があったのである。

彼らはいつも不平不満ばかり言う。他人や社会のせいにして自分を改めようとしない。
リア充という仮想の敵をつくり、それに嫉妬する。
冷静に考えてみれば社会の産業廃棄物である。原発よりも有害であろう。

しかし、そうしたゲリラ的なツイートを繰り返している人間の方が、
何故かフォロワーやお気に入りが多い傾向があったのだ。
数的な評価は難しく、例外もあるが、感覚としては、おそらく中程度の相関が得られる。
むしろ現実であまりうまくいっていないダメ人間の方が、ネット上においては支持されるのだ。

おそらくダメ人間の方が批判されたり同情されたりするため(酷い場合には炎上するため)、
最終的には注目されやすいのだろう。
これはお笑い芸人がわざとカッコ悪いところを見せるようなものである。
悪いところを見せてしまうと叩かれるケースもあるが、
共感したり同情したりする者も出てくるため、結果としては盛り上がる。

これに対し、200~300程度のフォロワーに収まってしまう者は、常識的で、あまり社会に対して不満がない者が多かった。
毒を吐かない者は面白くないと思われるようである。

特に10~99フォロワーの者は高確率で実生活が充実しているかツイッターに興味がない者だった。
目安はフォロワーが2桁であること。これだけで判別できる。

このようにフォロワーやお気に入りだけで大まかなプロファイリングができる。
言ってみれば、ツイッターのフォロワーやお気に入りの多さは廃人度を示している。
多いほど面白いが社会的に問題がある。

私はこの中では真ん中の200~300程度のフォロワーを持つユーザーだった。
明鏡止水で不満がないため、ほとんど注目されなかった。


というわけで、実は魅力をなくしてでも文句を言わないと支持されないようだ。
不満がないと、現状のままでいいと判断してしまうため、アイディアが生まれない。
思うにロックやパンクなども原動力は社会への不満であり、同じようなことをしている。
現状に満足している人間はつまらない。そういうことが改めて分かった。