赤目無冠のぶろぐ

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帰ってきたニートの一日の作者。詳しくははじめにへ。

ネットは私的所有権の否定という意味では共産主義の具現化なのでは?

毎日ぼんやりとしているとお気楽すぎる考えが浮かんでくる。
たとえば極端な平和社会を望んでしまったり。実際、そう簡単なことではないのだが。

とはいえ、その中でお気楽ながらも真実だと思うのは、ネットはかなりのものをタダにしたということ。
映画、音楽(ライヴ)、漫画、小説、アニメ、ドラマ、ゲーム(実況)、テレビ・・・
これらの多くがネットのおかげで事実上タダになっている。
無論、著作権の問題はあるが、公式に配信されているものもあるし、最近では作者が自ら無料で自作のものを公開する場合もある。
動画・音楽を編集するソフトも無料でダウンロードできる。ファイル名をまとめて変更してくれる便利なツールもある。
そう、今や食べ物と家を除けば、ほとんどのものはフリーなのだ。

誰でもタダであるということは、互いにシェア(共有)し合っているとも言える。
実際、ファイル共有なんてものまである。
その意味で、インターネットは基本的に「共有する」という発想がベースになっており、
事実上、公園や道路などのような公共のものに近い。
誰でもアクセスできるし、誰でも好きに利用できる。排他的なものではない。

裏を返せば私的なものではない。
私的なものは基本、「俺のものだ」と主張できるものであり、所有権がある。
欲しいと思っても、いちいち本人の許可を得る必要がある。金を払わなくてはならない時もある。
しかしネットの場合はそうした概念が希薄であり、何処までが誰のものなのか、実際のところよく分からない。
それに、いちいち誰のものなのかもめていたら、はっきり言ってきりがない。
細かいことを気にしすぎたら情報を拡散できないわけだ。
その意味で、ネットは私的な所有権を半ば否定したことで誕生したものであり、
ある種の共産主義の台頭なのかなぁとも思う。