赤目無冠のぶろぐ

アニメ要約・批評、仮想通貨(ビットコイン、モナコイン)、将棋・麻雀、音楽(作曲、DTM、ベース)、思想など

帰ってきたニートの一日の作者。詳しくははじめにへ。

何かに夢中になること自体、ギャンブル依存症と一緒

しばしば「学生時代に強烈な成功体験があれば、仕事で頑張ることにも同意できる」というような話を就活などで聞く。
しかし私が思うにそれは単なるギャンブル依存症であり、従順な奴隷(養分)をつくる都合のよい理屈に過ぎない。

実はギャンブルも「強烈な成功体験」という奴と同じようなものがランダムに来る遊びである。
予想して高い配当が的中すると、また頑張れば成功するかもしれないと思い、ずっと続けてしまう。
しかし実際には胴元の手柄になることに、さりげなく同意しているだけである。

思うに人生というものは「また来るかもしれない」と妄想し続けるギャンブル依存症である。
「もう少し頑張ればスポーツ選手になれるかも」「学者になれるかも」「アイドルになれるかも」
などとうまいこと思わせることによって、上手に人をこき使う。
しかしながら本当に儲かるのは事務所などの上の人間とごく一部の成功者だけである。
そのような構造に過ぎないのに、挑戦し続ける人が減らないことが不思議でしかたない。
これがもしギャンブルだったら、「やらないのが最善ですよ」とほとんどの常識人が即答するというのに。

いつだったか芸人の島田紳助が、
「日ごろは貧乏な状態にして、たまに甘い蜜をやれば、部下は一番働く」というようなことを言っていたが、
実はこの考え方もギャンブル依存症に本質は近い。
つまり基本的には外ればかりにして搾取しまくり、それをどんどん会社の手柄にする。
しかし当然ながらずっと搾取していると辞められてしまうので、たまに大きな報酬を与える。
これを繰り返せば、人間はまた大きな報酬が来るかもしれないと思うので、必要以上に働いてくれる。
結果としてこの構造をつくった人間は何もしなくても簡単に儲かる。
後はどれぐらいのタイミングでその甘い蜜を投下するか吟味するだけである。
以上のようなギャンブル依存症の状態を上手につくれば、
人間は必要以上に動いてくれるようになるので、簡単に搾取できる。

考えてみれば初恋や一目惚れやあらゆる初体験も同じようなところがある。
また同じような衝動がやって来るのではないかと考え、いろいろなことを模索して生き続けてしまう。
だが、また同じようなことが(たとえば1年に1度というふうに)規則的に起こるわけではない。
こうしたものを追ってしまうのもまた依存症に近い面がある。

何に対しても夢中になろうとしない人間は、本当はものすごく頭がよいのかもしれない。
なぜならそういう人間は無謀なギャンブルに挑戦しようとしない自制心があるからだ。
学生時代は、目標がない奴は向上心のないバカだと思っていたが、今回のテーマを考えてみると、
何に対しても反応しないドライな奴はカッコいいし実に理性的だ。
人生そのものが依存症をいかに継続するかであり、
それを悟ったうえで上手に利用する側にまわったものだけが、人の上に立つ人になれる。
私はギャンブル依存症にはなりたくない。ギャンブルを提供する詐欺師になりたい。