赤目無冠のぶろぐ

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『涼宮ハルヒの憂鬱』の批評~エヴァの一般化では?

涼宮ハルヒの憂鬱』は、90年代に大ヒットした『新世紀エヴァンゲリオン』を一般化したものだと思います。

エヴァのラストの場合、主人公のシンジが、人類すべてが生命のスープになってしまう世界を見て、
それが自分の望んでいない世界であることに初めて気づき、
アスカなどの他人が存在する元の世界に帰ることになるのですが(EOEを参照)、
ハルヒの場合はそれが閉鎖空間という概念で説明されています。

すなわち、ハルヒの場合、いざ閉鎖空間が与えられ、そこでハルヒはどうにかなると思ったわけですが、
キョンにとってはそれが必ずしも望んだ世界ではなかったわけです。
それでキスをして(要するにハルヒのことが好きだと言って)元の世界に帰ってくることになるわけですが、
この構造は実は上記で書いたエヴァンゲリオンと全く同じなのです。

そういうわけで、エヴァを学園もの、日常ものとして一般化したのがハルヒなのではないかと捉えています。
実際、それ以降、日常だけに特化したものや世界観のスケールを小さくした単純な話が増えるわけですが、
そうした現象はひとえにこのハルヒが起こしたのではないでしょうか。

2ちゃんねるなどでは過大評価と揶揄されることが多いのですが、
私はゼロ年代のアニメの流れを一般化した重大な一作だと捉えています。
言うならば、アニメーションの公式を見出したようなものです。

※この文は「あにこれ」というサイトで書いたもの