赤目無冠のぶろぐ

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帰ってきたニートの一日の作者。詳しくははじめにへ。

山川賢一による『成熟という檻』

山川賢一による『成熟という檻』を要約する。

※以下はツイッターで「~だお」口調で語ったものを修正したもの。
 かなり大雑把なものなので注意。内容を正確に知りたい場合はアマゾンなどで購入しよう。
 なお、※は山川さんの見解ではなく、私の見解。

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山川さんの「成熟という檻」を読んでいく。
題名から察するに、成熟という規範に閉じ込められているまどかか何かだと思う。

はじめに:

まどマギエヴァをこえそう?

・売れたのは展開が意外で、人の気持ちを細かく描いていたから

・作品のテーマが重要で6つある(詳しくは本書を参照)

・テーマを考える手がかりはモチーフ(タイムループなど)。
 しかし、ただのツギハギではないことに注意が必要。
 その原型はsfやホラー(リング、バトロワなど)で描かれてきた「非人間的な秩序」である。

・モチーフ論者は次の2つにはまりやすい。

 A同じモチーフなら同じ意味だと解釈すること。斉藤や宇野の論が典型で、これだと個々の作品の特徴が軽視されてしまう。

 B現代文化の特異性を強調しすぎること(世相と作品内容をこじつけること)。

 こういう乱暴な論は避けたい。

・モチーフに注目する場合は、そこに担わされた「意味」を重視することが大事である。
 違うモチーフでも似た機能なら関連しているし、同じモチーフでも違う機能なら別物である。

まどマギは基本的な部分は終わった作品だが、割り切れない部分もある。
 特に結末とこれまでのストーリーは、ややもすると、かみ合っていない気がする。
 この違和感は何だろうか。
 何か隠されているものがありそうである。
 それを分析していこう。

以上が「はじめに」の大雑把なまとめ。
というわけで本文に突入する。

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まどマギの話は、さやか‐杏子の関係とまどか‐さやかの関係に分けられる。
まずは、さやか‐杏子の関係を見ていく。

第1章「希望のない檻」

1.1.希望と絶望

まどマギのテーマは「希望と絶望」である。
 両者のバランスは差し引きゼロである。
 作品内は「条理」に支配されていて、希望を叶えることは条理に背くことに繋がる。
 だから、希望を叶えてしまうと、その反動として絶望を受け入れなければならない。
 これが「差し引きゼロ」の意味である。

※これは私の見解だが、まどマギのテーマは経済学の「フリーランチ(ただメシ)はない」に近い。
 つまり何か(希望)を買う場合、必ずそれに見合う金(絶望)を払う必要がある。
 簡単に言うと、あるものを成功させるためには何らかの犠牲が必要ですよ、という話になっている。

 だからキュゥべえの話も魔女になるというリスクを明確に示していないこと以外は自然な契約に過ぎない。
 そういう意味でキュゥべえ現代社会における「資本主義の権化」である。

・脚本家の虚淵は、『フェイト・ゼロ』のあとがきで、物事は放っておけば悪い方向に進むと語っている。
 つまり、虚淵にとって「条理」は悪い方向に流れている。
 だからハッピーエンドを純粋に求めてしまうと、嫌でも条理と衝突して「絶望」に直面してしまう。

※我々がまどマギを単純なハッピーエンドや勧善懲悪で評せないのは、こういう虚淵の独特の思想が関係している。
 何かを単純に良くしようとするだけでは、どうしてもその分だけ何かが悪くなる。
 そういう前提が作品内にある。損な性格である(苦笑)。

・まとめると、「希望と絶望のバランスは差し引きゼロ」は、
 「条理」に逆らえばしっぺ返しがくるという世界観と、あきらめていれば傷つくこともないという内面を示している。

・最後のまどかの願い(魔女の消去と自身の概念化)は賛否両論だが、
 今までの「希望と絶望」を考えると、それなりに納得がいきそうである

・しかしまだ違和感がある。隠された物語がある。

 1.ほむらが杏子の死に動揺する意味
 2.なぜ、まどかは魔法少女化を阻むほむらと直接対決せずに契約したのか

 このへんが微妙である。
 しかし、隠された物語を理解すれば、別の意味を獲得できる。
 というわけで、分析は続く。

1.2.非人間的な秩序

まどマギは(日本の)ホラーである。
 虚淵自身も『メガストア』(2011年6月)で認めている。考えてみれば『沙耶の唄』も一種のホラーだ。
 まどマギの不気味さは少女たち(人間)を支配する非人間的な「秩序」である。

・こうした設定は90年代の『リング』のようなJホラーに似ている。
 リングは一見、秩序が崩壊しているようだが、
 実は人間の力だけではどうしようもない秩序(ビデオを誰かに見せないと一週間後に死ぬ)を貫いている。

・古谷利裕はホラーを「幽霊好き系」と「宇宙人好き系」に分けている。
 前者は不条理で解決しないが、後者は世界を体系的に理解しようとする。
 まどマギは魔女になるという秩序の恐怖があるから、後者の「宇宙人好き系」だと評せる。

まどマギは「コズミック・コンフリクト(人が神や宇宙のどうしようもない法則と対立すること)」と見なすこともできる。
 手塚治虫が典型例である。
 神や宇宙は人間を無視して動いていて、我々はどうすることもできない。
 これが非人間的な秩序であり、Jホラーであり、まどマギである。

このように、まどマギは非人間的な秩序を描いたJホラーである。

1.3.魔法少女の生存条件

ここでは各キャラクターの生存条件を考察している。

・さやかの生存条件は「他人のために魔法を使わないこと」。
 しかし、使ってしまったため、魔女になってしまった。

・杏子の生存条件は「希望を持たないで条理に従うこと」。
 しかし、最後はさやかのために条理に逆らってしまった。

・マミは情報不足。気のゆるみで死んでしまった模様。

1.4.非人間的な秩序とゾンビ

まどマギはsfやホラーにおけるゾンビものにも似ている。
 まどマギ界はゾンビにように生きるしかないし、それに抗えば絶望してしまう世界である。
 いわば少女たちはゾンビ化して希望のない檻に閉じ込められている。

※1.4では、本当は色んなsfについて語っている。
 ただ、まどマギそのものから脱線していて冗長だったので省略した。

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第2章「希望の檻」

ここからは、まどかとほむらの関係について。

2.1.くりかえす時間

・ほむらのタイムループに注目していく。
 まどマギのタイムループはありきたりと批判されがち。
 でも、前に話した「条理」に従うしかないという宿命論がある点では、他とは一味違う。

・それと、まどマギは反復のモチーフがやたら多い。
 タイムループだけではなく、「絶望と希望の相転移」の法則、魔女もある。
 さらにもう一つ、殺しても殺しても帰ってくるインキュベーターもいる。
 というわけで次はそのインキュベーターに注目していく。

2.2.インキュベーター

インキュベーターは感情がなくて契約概念に乏しい。
 伊藤の『ハーモニー』に出てくる意識を持たない被験者に近い。
 感情がないから合理的に行動できる。
 予言者、全体主義者(一つの体制のみに従い、それ以外を排す者)に近い存在だと評せる。

2.3.隠された物語

ここで、いよいよ核心にせまっていく。

・ほむらの生存条件は、まどかを守るという希望を持ち続けることで、その点で彼女は他とは違う存在である。
 ただし、他のあらゆる希望を捨てなければならない点では他と同じである。

・ほむらが時間を止められるのは1か月だけという点にも注意である。
 実際、11話の「ワルプルギスの夜」で砂時計の砂が落ち切って時間を止められなくなっている。
 ということは、なまじまどかを救ってしまうと時間を止められなくなって魔女を倒せなくなってしまう。
 つまり、ほむらの「(ワルプルギスの夜を倒したら)わたしはこの街を出ていく」という発言は、
 どこかで人知れず死ぬことを意味しているのかもしれない。

※是非はともかく、叛逆の物語のラストを示唆するかのような独特の考察!

・これをふまえて、ほむらvsさやかを見ると面白い。
 さやかはほむらのゾンビ的な面に気づき、そのことを指摘している。
 それで、ほむらは思わず「まどかを守る」という人間的な面を出してしまう。
 さらに、さやかのために後追いする杏子を見て、動揺してしまうわけだ。

・これで1.1で述べた2つの違和感の1つ目が解決する。
 つまり、ほむらが杏子の死に人間的に動揺するのは、決してポジティブなものではなく、
 さやかを起点とする玉突き事故的なものなのだ。
 さやか達の行動は、実はキュゥべえ的には愚考に過ぎない。

・冷徹なインキュベーターはハッピーエンドを妨げようとする「理」である。
 虚淵の経験(24歳の時に感染症で死にそうになったこと)から察するに、「理」は「死者の目線」である。

虚淵によると、まどマギには「折衝」というテーマもあった。
 だから人間的に理解できないキュゥべえでも最後まで共存する。
 しかし、これだけだと「理」が理不尽に強すぎる。
 そこで対抗する勢力を作った。

・ラストではまどかとほむらも「折衝」している。
 これで1.1の2つ目の違和感「なぜ、まどか対ほむらがないのか」が解決する。
 つまり、そもそも2人の行動原理は違うものなのだ。
 まどかは「正義」の人で、ほむらは「愛」の人。「正義」と「愛」は互いに説得できない。

・最後の「戦い続ける」と言うほむらは、まどかに依存したままのようだが、この感想は稚拙である。
 この話の場合、何が「成熟」かは簡単には断言できないのだから。

・最後のシーンは、「愛」の人・ほむらが「正義」の人・まどかのために戦っている。
 つまり、「愛」と「正義」の折衝を表現している。
 だから、ほむらの武器はまどかの弓になっている。
 これで「理」のキュゥべえ、「愛」のほむら、「正義」のまどかが揃い、物語が均衡する。

2.4.成熟という檻

ここが本書の題名の由来。

まどマギは常識が逆転しているので、「成熟」や「成長」に関してはかなり屈折している。
 たとえば、まどかが普通の魔法少女を望んで「成熟」してしまうとタイムループから抜け出せない。
 つまり、この世界の「成熟」は一種の「檻(おり)」である。

・最後は『新世紀エヴァンゲリオン』という作品と関連させながら、
 ヒーロー論とゾンビ論が紙一重であることについて語っている。

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※以上。うーん、深読みしすぎている部分もあるが、面白い部分もあった。

 特に「理」「愛」「正義」というまとめ方はうまいと思った。

 それとまどかにとっての最大の敵がキュゥべえではなく、実はほむらだという点も鋭い。
 『叛逆の物語』の内容がまさにそうで、あれはほむらの逆襲みたいなものだから、
 山川さんの方が私よりも虚淵さんの気持ちを理解しているようだ。

 全部きちんと読んだうえで「成熟という檻」という題名を改めて見ると、
 ようやくまどマギが自分の中で完成したような気がするよ。