赤目無冠のぶろぐ

アニメ要約・批評、仮想通貨(ビットコイン、モナコイン)、将棋・麻雀、音楽(作曲、DTM、ベース)、思想など

帰ってきたニートの一日の作者。詳しくははじめにへ。

冷凍庫に人が入った件について~そこから見える監視社会の到来

冷凍庫に人が入った件について。ツイッターのtngstn氏の発言を見て思ったことを記しておく。

推測だが、店の冷凍庫に人が入るようなことは昔もあったのだろう。
実際、今回の件でも何件も似たような問題が浮上したのだから。

しかし昔はツイッターやフェイスブックのようなSNSが存在しなかったため、冷凍庫に入ってもそれを自慢する場所がなかった。
せいぜい内輪でそういう話をして盛り上がる程度だった。
だから同じような事実があったとしても、今回ほどの社会問題には発展しなかった。

しかし現代のネットは違う。
ネットの場合、世界中の人が見ることができるため、悪事が世界中に伝わってしまう。
この「世界中の人が見ようと思えば見られる」という状況が非常に厄介だと思う。

思うに今のネットの場合、昔のように「影で内輪でこっそり楽しむ」という発想はもうないわけだ。
匿名でやる分にはいいが、実名だといつ何を言われるか分からない。
つい最近も復興庁の水野参事官が「クソ左翼」と呟き、問題になった。しかも多忙の中、たった1回失言しただけで。
これも匿名だったら何も起こらなかったろう。

2ちゃんねらーはツイッターをバカ発見器と見なし、常に監視している。
「あそこは底辺しかいないだろう」と言うかもしれないが、底辺だからこそ上流社会に嫉妬している。
そして上流の者を社会的に引き摺り落とすために、失言を虎視眈々と待っている。
もちろんそういうマスコミだっている。
このような輩がいる以上、ネット上での実名での活動は避けた方がいいのかもしれない。

また、昨今、いろいろな表現が規制される傾向があるが、これも誰でも見られるようになったことと関係している。
昔は見たくないものは見ないですんだが、ネットの場合はうっかりして見てしまう可能性があるわけだ。
そうなると「不快なものは全面的に禁止するべきだ」という極論が浮上しやすい。
その一方で「法に触れないのなら何を大っぴらにやってもいい」という過激派も出てくる。

要するにゾーニング(住み分け)が極めて困難なツールなのではないか。
ネットがない頃に自然にできていた住み分けが崩壊しているように見える。
ネット黎明期はやる人が少なかったからまだよかったが、最近は拡散するのが早過ぎる。
一発でアウトという怖さがある。
「ネットに自由を」と言いながら、結果として互いに監視社会を作っているだけなのではなかろうか。

嗜みを持ってそっと楽しむ。
そんな時代は終わってしまったのかもしれない。