ブログを書くよりも、2ちゃんねらーと一緒に夢を見たい
昨日はちょっとユニークな記事を書いたせいか、アクセスが少し多かった。
あちこちから新しい人が少しだけ来たらしい。この調子で今日も頑張っていきたい。
いろいろなブログを巡回しているが、ブックマークやスター、コメント、ツイートが多い活気のあるブログの記事が面白いかというとそうでもない。
誰も注目していないのに秀逸なブログも普通にある。
結局のところ、活気があるかどうかは宣伝力であり、内容はそれほど関係ない。
自分が挨拶まわりした分だけリターンがあるだけで、放っておいてどうにかなるものではない。
見ていて思うのは、分析的なサイトはあまり支持されない。
たとえばデータだけひたすら集めて考察しているようなところ。
一定の人気はあるが、圧倒的に伸びるわけではない。読むのが面倒くさいのかもしれない。
逆に一番支持されているのは、センセーショナルで賛否両論ある記事。
こういう記事の方が炎上して伸びるようである。
どうもそういう記事の方が文句を言いたい者が多くなるせいか、結果として人気ブログになる。
実際には「裸の王様」であり、恥ずべきことでもあるのだが。
アクセスが少ない人は気にしなくていい。それはそれだけあなたがマトモだということを示しているのだから。
センセーショナルで変な人ほど妙に支持されてしまうようにできているので、マトモな人はマトモに社会で活躍した方がいい。
もともとネットはアングラな要素が多いものなので、ここで支持されることはむしろ痛いことでもある。
心配なのは「アクセスが多い=自分はすごい」と勘違いしてしまう人がいることである。
たとえばツイッターのフォロワーが数千いるAさんは、
自分のイエスマンだけリツイートして最近おごるようになってしまっている。
自分の意に介さない者をすべて排除し、肯定する者だけ傍に置くようになったら末期である。
しかもなまじフォロワーが多いため、周りも肯定的なことしか言えなくなる。
気に入ってもらえないとフォローやリツイートをしてもらえないからである。
ネットというものはリンクすることで成り立っている以上、アクセスが多いものにリンクしてもらう必要がある。
結果として、目に見えないヒエラルキーが誕生する。
はっきりとは互いに言わないが、そういう暗黙の力関係が複雑に絡んでいる。
このことを知らないで闇雲に進むと、どこかで大炎上して大怪我する。
その意味で、この世であらゆるヒエラルキーから自由になっているのは、
匿名性が担保されている2ちゃんねらーだけだと密かに思っている。
彼らは(名誉毀損や犯罪予告でなければ)何を言っても自由なので、究極の思想の自由を有している。
また、力関係は、少なくともスレッドが始まった時点では、対等である。
彼らが私のブログの記事一つ一つに対してどう思っているかが、一番興味深い。
辛辣な言葉もあると思う。でもそれは真実でもある。
それと本来、私は性格的にブログをやるタイプではない。
ブログは上野動物園のパンダのようなものではっきり言って見せ物だ。
自ら檻に入って個人情報を流出させているだけなのだから、バカッターと変わらない。
自分は何も晒さないくせに晒した奴を叩くだけの2ちゃんねらーの方が愉快だと思う。
私は本当はブログでなれ合いなんかしないで、2ちゃんねらーと一緒に夢を見たい・・・
2ちゃんで「4号機、地図上から消滅」と言ってみんなで沈んでいく日本の原発を見守る。
不謹慎な内容でも構わない。哀愁があって素晴らしい。
もちろん時には口論もあるだろう。
でも心配ない。明日になればIDが変わって仲直りできるのだから。
誰が誰なのか分からない一期一会の2ちゃんはブログよりも優れている。