赤目無冠のぶろぐ

アニメ要約・批評、仮想通貨(ビットコイン、モナコイン)、将棋・麻雀、音楽(作曲、DTM、ベース)、思想など

帰ってきたニートの一日の作者。詳しくははじめにへ。

昨日の差別問題についての補足説明

昨日の差別問題についての記事に対し、
私自身にも民族差別意識があるのではないかというコメントが寄せられたので、補足しておく。

率直に言って私にも民族差別意識がはっきりとあると思う。脳が既にそうできている。
「何もおかしいと思わなかったのでしょうか」というようなコメントがあった覚えがあるが
「おかしいと思う。でも直感は変わりません。おわりっ」としか言えない。

私は見た目がよいものが好きで悪いものが嫌いだ。*1
これは程度の差こそあれ、すべての人間が持っている本能である。
綺麗な空や海は好きでも、ドロやウンコは汚いと思うのと同じことに過ぎない。その対象が人になっただけである。
そういうふうに脳味噌が最初からできている。
後天的教育によって矯正はできても、本能そのものが変わることは、生き物である以上、これから先もあり得ない。

少なくとも何かが綺麗だと思う美意識が全くない人間などあり得ない。
風景でもいい、スポーツでもいい、音楽の協和音でもいい――どのジャンルでもこれは「美しい」というものがある。
ということは相対的にそれよりも美しくない「醜い」ものも必ずあり、序列がつく。
我々は知らず知らずのうちにたくさんのものに対して偏見を持ち、選別してしまっている。

いつだったか塾のバイトをしていたある知人(男)が
「女の子の場合はどうしても自分の好みが入ってしまうから、質疑応答の場合は顔を極力見ないようにしている」と言っていた。
つまり見た目で決めてしまうおそれがあるから、あくまで話の内容で判断しようということである。
大変よい心がけだと思うが、裏を返せばこの男もまた、
「綺麗な(可愛い)女なら何を言っても許される」という遺伝子が脳に先天的にプログラミングされているわけだ。
理数系が得意で事実に基づいて考えることができるかなり聡明な男だったが、
そんな彼でさえ「容姿のよい異性を捕まえろ」という利己的な遺伝子は変えられないわけである。

だから私は前の記事の最後に、
「しかし生き物としての本能的な第一印象を変えることはできないのだから、
 よくないことをよくないと騒いでも何も変わらないともいえる。
 強いていえば、互いに顔が見えないこのインターネットだけが、容姿差別を解決するキーとなるだろう」という言葉を添えた。

つまり差別意識をなくすのではなく、むしろ差別意識が実際にはあることを前提にするしかない。
その上で何ができるか考えるしかない。

例えばアメリカの就職活動では書類選考段階では人種や性別が分からないようにする配慮をしている。
理想は選ぶ者がよい教育を受けて人種差別をしないことだが、それが理想論で不可能なので、
強制的に分からない仕組みを導入しているわけだ。
裏を返せば、相手の出自が分からないシステムを作ってどうにか差別をなくすよう努力しているだけに過ぎない。
様々な教育を必死に導入しているアメリカでさえ、直感的な差別意識自体はまだまだなくせていないということだ。
構造的な解決をしただけであり、人間そのものの意識は変わっていない。

また、このネットも顔が見えない。だから文章に基づいた判断ができる。
言わばネット上で我々はマスクをかぶったような状態で会話していることになる。
そういう意味で、このインターネット(特にツイッターなどのSNS)というものも、
差別問題を回避してフェアに話し合う時に使えるツールだろう。

こうしたことを言いたかっただけなのだが(バカのために同じことをもう1回説明するのはダルいな)、
どうも中国・韓国人差別ととられてしまったようである。
これに噛み付くということは彼(彼女)は中国・韓国系の方なのだろうか。
いずれにせよ、読解力が壊滅的にない無能が的外れなコメントをしたのは明らかであろう。
だがこの件も(もうさんざん文章を読んだから想像できると思うが)実際には差別意識はあるね、としか言えない。
同情はするが金は一切出せない。すまんな、てばさき氏とやら。

もうこの問題については、あるものはあるとするしかない。
このネットのように、見た目が分からないようにする手段を考えていくしかない。
それ以外のプランはすべて偽善的な解決に留まって空中分解してしまう。

*1:ついでに言えば同じ民族・人種の者を優先するという本能も入っていると思う。
これは実際にかつてのユーゴスラビアでの紛争でもあったことで、
紛争が激化して余裕がなくなると、近い民族を優先して助け、遠い民族と対立するようになる(NHKでやっていた話)。
「どんなに差別しない」と偽善的なことを言っても、切羽詰まると簡単に本性は出る。
それを私が(わざわざ自ら叩かれることを覚悟したうえで)率直に披露してみただけの話であり、
この厳然たる事実そのものから逃げることは永遠にできない。