赤目無冠のぶろぐ

アニメ、将棋・麻雀、音楽(作曲、DTM、ベース)、思想など

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2012年秋アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」のメモ書き

2012年秋アニメ「PSYCHO-PASS サイコパス」のメモ書き(ただの備忘録なので文章は酷い)。
wikipedia(http://ja.wikipedia.org/wiki/PSYCHO-PASS)公式(http://psycho-pass.com/)の文章を参照した。

※本作の脚本家の一人、虚淵玄(うろぶちげん)は2011年に話題になったアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の脚本を書いた人。
 「魔法少女まどか☆マギカ」がなかなかだったので、どんな話を書くのか気になり、テレビやニコニコ動画で視聴していた。



基本的な世界観

「シビュラシステム」というシステムが構築され、人々のあらゆる心理状態や適性を計測する数値、「サイコパス」が導入された未来世界。
人々は有害なものがない理想の社会で生きるために、その数値を指標としていた。
中でも犯罪者に陥る危険性は「犯罪係数」という数値で事前に測定されており、
一定の値を超える者は「潜在犯」と認定され、社会から隔離されていた。
しかし、犯罪を事前に予測したり解決したりできる特別な潜在犯だけは「執行官」という刑事になり、
「監視官」というエリート刑事のもとで治安維持に努めていた。

本作は、そのような管理社会の治安を維持するために働く公安の葛藤を描く。

用語解説

ドミネーター…監視官と執行官のみが使える特別な銃。対象の犯罪係数が一定の値を超えていれば発砲可能。
    基本モードはパラライザー(麻酔銃)だが、危険性が高くなるとエリミネーター(殺人銃)になる。
    さらに危険が及ぶとデコンポーザー(分子分解銃)になる。
    ただ、局長が使う場合はチートモードで、危険性に関係なくモードを変えられる模様。

免罪体質者…何があっても犯罪係数が上昇しない体質を持った例外(チート野郎ですな)。200万人に1人いる。
    シビュラシステムの完全性を揺るがす存在なので、隠蔽されている。



感想やら考察やら

本作内の犯罪者、槙島は、要するに「機械が人間を選別する管理社会はおかしい」と言いたいのだろう。
そして「人間が自分の意志で自身の生き方を決断する社会が望ましい」と言いたいのだろう。
槙島の「僕はね、人は自らの意志に基づいて行動した時のみ、価値を持つと思っている」は屈指の名言であり、
物語全体に通ずるテーマでもある。

対するシビュラシステム側は免罪体質者をかき集めたものであり、調和がとれている。
独りよがりではなく、たくさんの人の意見の平均をとっているという意味では客観的であり、バランスがよい。
いわば帰結主義における功利主義を採用しており、最も合理的な損得勘定を行っている。

しかし、槙島の言う通り、そこに個人的な意志は介在せず、全体に委ねるだけで自分で考えることを放棄している。
そのようなことを繰り返せば、人は「何をもってよしとするか」という規範(倫理)を失い、衰退する。

また、損得勘定が基本なので、たくさんの効用をもたらすのであれば、多少の犠牲は発生しても構わないと考える。
そのため、マイノリティ(例外)は排除しても構わないという差別的で暴力的な発想が正着になり易い。

そういう意味では現代社会においては、(今のところは)槙島の方がマトモ。
普通ではない世界に対して、「普通に生きようよ」と提案しているだけですから。
まぁ、彼の犯罪が正当化されるわけではないですけどね。



(追記:2013/06/08)

それと本作は、児ポや都条例をはじめとする昨今の表現規制へのアンチテーゼと解釈することもできる。
こうした法の存在は公権力があらゆるものを選別することをよしとするものなので、その意味で本作の世界に一歩近づいている。
極端に管理された自由のない世界を描くことで、間接的に現代社会の悪い面を示唆し、批判するという手法は、
ディストピア小説でもよく見られる常套手段である。

実際、2012年2月17日のはてなブックマークニュースによると、
まどマギを手がけた脚本家の虚淵は、東京国際アニメフェア主催の東京アニメアワードで脚本賞を受賞した際、
「理不尽な条例で表現の自由を脅かしてる人たちに「君の脚本はスバラシイね!」と言われて、俺は素直に喜んでいいのかどうか大変悩んでる」とコメントしている。
彼のこの価値観が本作に影響を与えている可能性がある。