物事は再現性の確認に過ぎない。
たとえばボールをたくさん投げて遠くへ投げなられるようになったとしても、
数をこなせば精度が高まるという当たり前の事実を確認しているに過ぎない。
学校の理科の実験も同じで、教科書通りになることを確認するだけである。
(むしろ実験は教科書にない未知の事象を確認する時に行いたいし、本来はそのためにある)
物事は最終的にはありきたりな練習を繰り返すだけの作業ゲームと化す。地道な努力がほとんどである。
再現性を確認するためのルーティンワークと遺伝子のリレーしかない人生に意味はない。
さぁ、一緒に行こう。
何も考えない無の世界へ。