生まれて来る場所で人生は決まっている→では、決まっていない人は何が違うのか
常夏島日記の「地方都市で、低学歴と高学歴の世界が交わるとき」が面白い。
低学歴と高学歴のどうしようもない境遇の違いを語っている。
そして高学歴も一応、低学歴の実態を知っておいた方がよいと主張している。
これを見て思うのは、生まれて来る場所で人生は決まっているなぁ、ということ。
努力してそれを覆している人もいるんでしょうけど、そういう人は少ないわけで。
境遇に引っ張られて夢が限定されている人もかなりいるのでしょう。
たとえば、私なんかニートでものんびり過ごせているんだけど、これは親が金持ちだから。
祖父母もかなり稼いでいたから(官僚と自営業だから)、どんなに私自身の人生が詰んでも私が死ぬことは考えにくい。
死ぬとすれば、ハイパーインフレが来て金が紙切れになるときぐらいでしょう。
でも冷静に考えてみれば、それぐらいの状況に日本が陥ったら、他の人だって困るから死ぬのは一人ではない。
だから相対的には最初から金を持っている奴が有利なのは決定的なんですね。
大学時代の知人も地方から来た人は、人によってはどうしようもない感じ。
高学歴を装っているだけで実はとんでもない環境からやって来ている人もいますから。
まぁ絶対とまではいかないけど、喫煙率や酒に対する態度やギャンブルへの認識、性への解放感(宗教的倫理観)、
トークにおける思慮深さ(決めつけの少なさ)、政治的態度、親や親戚の話などでだいたい読めます。
特にダメな子の場合、親もだいたい酷い。パチンコ狂いだったり、基本的な倫理観が欠如していたり。
twitterの知り合いの親は中卒のパチンコ狂いで、ちょっとおかしいらしい。
パチンコで悲惨なのは奪われるだけではなく、その金で誰かがいい思いをしているということ。
要するにあれ、基本的には搾取産業なんですね。「お前、上の奴らに騙されて、遊ばれてんだよ」と。そういうことです。
しかも上の奴が悪い奴だったらもっと困る。裏社会の金が増えるだけだから。
で、パチンコはともかく、こういう格差について。
格差に関しては、当初の不公平だけは可能な限り是正した方がいいと思う。
基本、堕落することがない資本主義を支持する立場だけど、一番最初の境遇は競争する前の話ですからね。
境遇の違いは、陸上競技の100メートル走で説明すると、スタートラインが違うようなもの。
いきなり自分だけ10メートル後ろにされて、「努力すれば上にいける社会です」って言われてもねぇ。
同一の才能で同一の努力なら、距離が短い奴が先にゴールするに決まってるでしょ。
だからスタートラインを揃える社会保障はあっていいと思いますね、はい。
(まぁこれでも例えば大学の奨学金制度などは昔に比べれば今の方がマシになっていますがね。
昔なんか奨学金という概念さえなかったし、世界ではまだそういうところもあるはず。
学校自体が既になかったり。)
一番大きいのは環境。
「どうせダメだ」というような、あきらめムードの漂う環境だと、高確率でそこで終わるでしょうね。
子供はなるべく、そういうムードのない、街で育てたいものです。
話題が変わりますが、裏を返せば、そこから這い上がってきた人って、とんでもない努力家ですよ。
さっきの例で言えば10メートル後ろから他の奴らと同じようにゴールした猛者です。
そういう人はだいたいの場合、「教わることを待っていない」。それと「自分から動いている」。
このあたりのマインドが異常にタフなんでしょう。
私も能動的に勝手に動くタイプだったし、幸いなことに色んな資質を持っていたけど、真似できるかは自信がない。
酷い境遇から始まる人生が10回あったら8回ぐらいは私も中卒だったと思います。
ダメな人って救いを待ってしまう傾向があるんですよ。自分も過去、負けた時はだいたいそうでしたから。
たとえば私のいる世界:ひきこもり女子いろいろえっちの人は、教えてくれる人がいないことを嘆いている。
これは誰かが教えてくれることを待ってしまっている。それとあきらめているから自分から動かない。
タフな人と正反対の傾向ですね。
・・・とまぁ、思ったことを書いてみました。
因みにただの個人的な日記です。日記という名の愚痴です。何処かの公式の見解ではありませんよ(笑