ニートの贅沢な苦悩
ニートの贅沢な苦悩について吐露しておく。
ニートになるとすることがない。要するに義務がない。
そのため、計画的に時間を使えなくなる。
想像してみて欲しい。「何をやってもいい」と言われたらどうするか。
最初は喜んでいろいろなことをするだろう。しかし一ヶ月もすれば飽きる。それが現実である。
私はこの感覚を実際に体験している。
「自由」というものは「不自由」の中で誕生する。
日曜日の希少価値は平日は働くものという規範から生まれる。
しかしニートは「自由」しかない。その先にあるのは漠然とした不安だけだ。
ある程度の義務の中から価値は生まれる。そのことに気づいた。
何だか哲学者のような心境である。
私はどこへ向かうのか。この自由の先に何を見出すのか。
私は今、ニートの末路を知るための社会のモルモットになっている。