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赤目無冠のぶろぐ

アニメ、将棋・麻雀、音楽(作曲、DTM、ベース)、思想など

fc2のぶろぐからやって来た男。詳しくははじめにへ。

えむえむっ!の原作と漫画の対応(漫画版7巻のまとめ)

【漫画版1巻(2009年2月)】…原作1巻1話「直滑降ファーストラブっ!」のクライマックスまで

※漫画版は以下のようなマゾヒズムの説明がある。これは原作にはない説明。
 「マゾヒズム またの名を被虐性欲と言い 精神的・肉体的な苦痛に耐える事で 快楽を感じることを指す
  1880年代 ドイツの精神医学者 クラフト=エビングによって 名付けられた性的嗜好の一つ」

・漫画版1巻はかなり原作に忠実。特に44ページの美緒さまの冷たい視線が素晴らしい。
 この美緒さまの眼が好きだったんだが2巻から絵柄が少し変わってしまうのよね(-_-)

【漫画版2巻(2009年8月)】…原作1巻1話のラスト、1巻2話「似たものどうしのディスタンス」のクライマックスまで

【漫画版3巻(2010年3月)】…原作1巻2話のラスト、2巻1話「そんなこんなでカップルバカップル」のクライマックスまで

※道明寺店長はカット、コスプレ対決もカット(婦人警官の美緒はなしorz)

【漫画版4巻(2010年9月)】…原作2巻1話のラスト、2巻2話「騒乱だらけのマイホーム」、
     3巻1章・2章「そして彼女は~」(間宮登場、このあたりから駆け足気味に)

【漫画版5巻(2011年2月)】…原作3巻3章・4章(駆け足気味)、5巻3話「天才少女の暴走パニック!」

※道明寺店長の嫁がレイバーからキュ○サンライズに/4巻はカットorz(大人の事情という名の尺の都合)

【漫画版6巻(2011年11月)】…原作10巻2話「愛情ポイントをアップアップです!」、8.5巻「驚天動地の変態RPG」(共に駆け足気味)

※コテージはカット(お風呂はなしorz)、道明寺店長もカット

【漫画版7巻(2012年3月)】…原作5巻2話「失われたメモリー」に原作者が書く予定だった結末等の設定を加えたもの

嵐子が太郎をデートに誘い、マフラーを渡し(6巻1話)、告白(7巻3話)
→美緒、それを聞いてしまい、嵐子に太郎のことを任せると言う
→太郎、美緒に近づこうとする際に、誤って階段を踏み外し、記憶喪失に(5巻2話)
    同時にドM体質も治り、このままでいることを望む
→美緒、一度は治そうとするも、言いたいことも言えず、去る
→再びデート(嵐子のマフラーに太郎が選んだ服――だが記憶喪失の太郎はそれが分からない)
 踏まれてももうドMになることはない太郎は、かつて美緒と乗った観覧車に注目し、
 その後、前の自分を見てしまっている嵐子に「一度別れよう」
→嵐子、学校へ行き太郎にキスを求めるも、相変わらず男性恐怖症のままで殴ってしまう
→太郎のドMが戻る(あ、あと記憶も)
→太郎が買い物に行った後のことを覚えていないため、もう1回気持ちを伝え直すことに(嵐子vs美緒の確立)
→少しずつ変わっているのかもしれないが、なんだかんだいっていつもどおり
 「遅い」「このえむえむ野郎が!」


※季節は冬/巻末におまけ、あとがき、編集担当のコメント(必読)

・当初は売り物にならないといわれていたが、ギリギリアウトな変態感が認められたそうな
・草稿段階では、太郎と嵐子のみの物語で物足りなかった
 →そこで、物語をリードする役として美緒をつくる(美緒のビジュアル設定は松野氏の理想の女の子)
・Q「なぜ美緒は自称神なのか」「太郎は美緒と嵐子のどちらを選ぶのか」
 A「皆さまの心の中に」


上記を読めば十分だが、漫画版の7巻はよくまとまっているので、できれば買った方がよい。
事実上、「えむえむっ!」関連の最期のコンテンツになると思うし。

えむえむっ! 7 (アライブ)

えむえむっ! 7 (アライブ)



~~~感想~~~

原作者の松野さんはちょっと怖いぐらいに人の機微を見抜く作品を書く方だった。
太郎というキャラクターを通じて彼の優しさに触れることができた。
私的には涼宮ハルヒ谷川流を思い出すぐらい印象的だった。
横暴で不器用な女の子を寛大に労わる男の子のモノローグが、谷川さんの書き方に近いと思う。

実はドMという色のある設定がなくても、普通に人を魅了する話を書けたのではないかと疑ってしまうぐらいである。
大多数の人間がドMという設定で「気持ち悪い」と避けるのが社会の実情であろうが、
そう思われてしまうのがもったいないぐらいの作品だったと思う。
正直なところ、当初は、この本が好きなのは一部のマゾに限られるだろうと思っていた。
だが最近は、どちらかというとマゾヒズムという設定は、奇をてらって商業的に盛り上げるための道具でしかなく、
本作の本質はむしろ、誰に対しても寛大な主人公太郎(≒作者)の人間性にあるのだと考えている
(そもそも太郎のマゾはフィクション内でのギャグにすぎず、実際のマゾとは違うような気がする)。
今回、主人公太郎の優しさに惹かれていく美緒や嵐子、そしてノアの気持ちの変化を漫画版と対応させながら綿密に追うことで、そのことに気づかされた(さらにいえば、その美緒や嵐子、ノアもまた、二アリーイコールで作者の人間性の断片なのだろう)。

またその一方で、本来、人から忌み嫌われるマゾヒズム、女装癖などといったセクシャルな問題を、
堅苦しくない笑いに昇華してしまう力もあった。
そういう性的な負の側面をあえて肯定的にカミングアウトしてしまった。
「そういう見せ方もできるよな」という可能性を示してくれた。
このカミングアウトしていく流れは「おれいも」や「はがない」などが引き継いでいるようにみえる。
そして今のライトノベル、アニメ、漫画といったサブカルチャーの血肉となっている。

松野さんの文章は基本的には単純で、何の変哲もない文章ではあるが、こういう自然な文章ほど書けるようで書けない。
人間の繊細な感情の変化を追っていく物語ほど、柔軟な書き方が求められるものはないからである。
実は、固定的な書き方を繰り返すだけになり易い論文よりも、ライトノベルの方が遥かに難しいのではなかろうか。
そう思ってしまうぐらいである。
だから「ドMのくせに」と罵りながらも、私達は何となく読み続けてしまうのだ。

これ程のことができる男が亡くなってしまうとは残念である。
松野さんはMF文庫の最後の良心だった。
機械的な説明しかできない私が一生かかっても表現できないことを彼は数年で達成してしまった。

~~~漫画版の感想~~~

長い原作をコンパクトにまとめていると思った。
原作は後半で多少迷走しており、他のキャラクターとの絡みが中途半端だったのだが、
漫画版はそうした面を改善し、簡潔にまとめることに努めていた(尺の都合で強いられているのもあるが)。
7巻を読んで、ようやく「えむえむっ!」というものが何なのか理解した気がする。氷樹氏に感謝。