赤目無冠のぶろぐ

アニメ要約・批評、仮想通貨(ビットコイン、モナコイン)、将棋・麻雀、音楽(作曲、DTM、ベース)、思想など

帰ってきたニートの一日の作者。詳しくははじめにへ。

ロウきゅーぶ!が個人的につまらなくなった理由

(突然だが)ロウきゅーぶ!が個人的につまらなくなったのは、「小学生は最高だぜ」と問題発言をしておきながら、
実際には真面目に熱いスポ根ものをやってしまったからだと思う。
これならもう巨人の星キャプテン翼のようなアホなノリで十分だったと思う。
その際、対象を小学生にする必要はない。要するに中途半端なのだ。

もちろんあえて小学生にすることで意外性を出したり、差別化を図ったり、マニアックなファンを呼び込んだりすることはできる。
本作は明らかに他がマネできない強みをコンテンツに入れることで売っている。それは分かる。

しかし基本、ロリ系に走る者の多くは小学生がいつまでも小学生のままでいて欲しいという願望も有していそうな気がするのだ。
そうでないのなら、普通の大人を対象とするドラマで十分なのだから。

にもかかわらず、本作は普通にバスケットボールというものを通じて小学生が成長してしまっている。
そして卒業して中学まで行ってしまう。
いわばサザエさん的な日常ものが一度否定されてしまうわけだ。

で、まぁよくできているのかもしれないが、何というかこの構造は飽きてしまった。
個人的な見解で大衆は支持しているのかもしれないが。

要するにこういうスポ根ものはパターンができている。私の中では以下のようになっていて、はっきりしている。

1.あるきっかけで、やりたいスポーツができる(目標意識の確立)。
2.しかし、それについての困難(障壁)が毎回生ずる(ライバルの台頭、思わぬ事故など)
3.2を乗り越えることで強く成長していく(努力から成長のリフレイン)。
  あるいは2で競り合ったライバルと仲良くなり、戦うたびに仲間が増えていく
  (仲間意識を軸にした少年ジャンプなどに見られる典型的な構造)。

もうこのパターンを踏襲すれば才能のない奴でもそこそこのヒット作は書ける。
あとはディーテイルの問題だけで、最低限はクリアしている。

で、こういうのは個人的にはもうお腹いっぱいだなぁって話。

ある意味で昨今の「けいおん!」や「みなみけ」のような日常ものってのは、
成長ものがワンパターンすぎることを間接的に批判しているのかもしれない。
もうそういうドラマってのは昭和の感覚で平成の若者は一切支持していないよ、と。
そういうドラマの否定なのかもな。

それにこういう成長ものでさえ、私が上で書いたようなワンパターンからは脱却できていないわけで。
上でも書いたけど、成長とか何とか言っておきながら、結局、リフレイン(繰り返し)だけなんだよね。
ゲームでいうなら「どうせまた強い敵が現れて鍛えてそれを倒すだけでしょ?」みたいな。
螺旋(らせん)階段を昇っているだけで実は同じところをグルグルまわっているだけなんですよ。

そういうのから脱却するためには、もうエヴァンゲリオンなどに見られる、
バンギャルドな超展開って奴を開拓していくしかないんじゃないかな?
商業的なしがらみもいろいろあるんだろうけど、何かもうこれはキチガイだなぁっていう新しさが欲しい。
それこそスクールデイズのラストみたいなバカバカしさでも構わない。狂気が欲しいよ。

 

ロウきゅーぶ! (電撃文庫)

ロウきゅーぶ! (電撃文庫)