最近、重度のジャニーズファンやAKBのファンに注目している。
言動が突飛で面白いからである。
基本、彼らはアイドルは誰とも付き合わないものだと確信している。処女性を大切にしている。
これはもう鉄の掟のようだ。破った場合、集団リンチにあう。
付き合うどころか、そうしたアイドルに近づくだけで嫉妬されることもある。
ある男は、男性俳優が共演している女性俳優に近づいた際、
ツイッターで「なぜ彼女の半径1メートル以内に近づかなければいけないのか紙に書いて提出してください」
と激怒し、男性俳優に嫉妬していた。
同様に「~のファンなんです」と言って近づいて叩かれるケースもある。
かつてモデルの玉城ティナはバラエティー番組で嵐の櫻井翔が好きだと言って彼に近づいたため、ツイッター上で嫉妬された。
ファンによると「芸能人という特権を使ってファンの願望を簡単に叶えるのは生意気」らしい。
その信仰心は想像を絶するものであり、ファン同士の結束も固い。
このようないわゆる炎上がアイドル業界ではいくつもあるようだ。
恐ろしい。「それでも地球は回っている」と言うだけで罰された中世の封建社会のようである。
もうあれから何百年も経って近代化しているというのに!
近代化とはいったい何だったのか、いや、近代が中世より優れているという考えが既におごりであり、
実は人間自体は何も変わっていないのではないか!?
・・・とまぁいろいろ疑問に思うことはあるが、とにかく確かなことは、
近代化し、ほとんどのモノが手に入る21世紀においても、人々は心の拠り所を求めているということである。
物質的には何もかもあるのに精神的には物足りない――そんな時代に欲されるのは偶像、つまりアイドルなのだろう。
「現実の異性と付き合えばいいのに」と思う者もいるだろう。それが一番自然だと私も思う。
だが、すべての人間がそう思ってしまうと、異性の奪い合いが激化し、収拾がつかなくなる。
そうした緊張状態はお互いを疲弊させるケースもある。
また、あまりにもモテない者はそもそも参加することさえできない。
逆にあまりにも現実を知りすぎて幻滅する者も出てくる。
おそらくアイドルはそうした緊張状態を緩和させるために創られた信者の共有物なのだろう。
だから掟も厳しい。一人でも抜け駆けする者がいると、アイドルという概念が崩壊してしまうからだ。
いわばアイドルは現代に生きる宗教である。
平和と秩序をもたらすために、信者は宗教に支配されることを自ら望んだのだ*1。
決して触れることはできないが、その分、他者に侵害される心配もない。
そういう救世主を規定することによって、争いをなくしているわけである。
考えてみれば、この発想は2次元の女の子に執着しているアニメオタクと同じである。
しかも2次元の場合、実在しないものなので、アイドルよりもさらに守られている。
みんなのものであり、誰のものでもない。
大衆が大衆同士の闘争を避けるために、絶対的な偶像を創造することに合意している状態なので、
牧歌的な状態を永遠に続けられる。
加えて、アイドルのように現実の人間が犠牲にならないですむというメリットもある。
ただの妄想であり、概念にすぎないので、誰も悲しまない。
かつて、ホッブズという哲学者は『リヴァイアサン』という著作において、
自然状態の人間は闘争の渦中にいるため、法のある国家に権力を委ねる必要があると説いたが、
もしかするとアイドル(偶像)への異様な崇拝もホッブズのような考え方を経て誕生したのかもしれない。
・・・あれ? そうするとアイドルファンって実は賢い?
アイドルファンがそこまで真面目に考えてファンになっているとは思えないが、
無意識のうちに支配されることに同意しているのは合っていると思う。
ほとんどのモノがこの先も「絶対」とは言えない今日、「絶対」がなければ生き辛い。
しかしながら、こういう人ばかりの社会になって本当に大丈夫なのだろうか。
本人達は幸せかもしれないが、虚構を愛し、生身の人間を否定し続ける社会に未来はないのではなかろうか。
それとも私の頭がカタいだけで、まったく新しい概念が既に若者の間で台頭しているのだろうか。
良し悪しはよく分からないが、ここ数日、以上のようなことを考えていた。
*1:支配されるという発想はじょーねつ氏の黒髪ロング論を読んで~本当に現代のドラマは死んでいるのか?でも書いた。
そこでは「自由に疲れた人々が望んだものは、皮肉なことに宗教による理不尽な束縛だった」と表現した。