2011年冬アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』のまとめ・考察・感想
2011年冬アニメ『魔法少女まどか☆マギカ(*1)』をまとめる
・基本情報…制作:シャフト、監督:新房昭之、脚本:虚淵玄、キャラクターデザイン:蒼樹うめ
※執筆の際、wikipedia、wikipediaのキャラクター一覧の1 魔法少女まどか☆マギカに登場するキャラクター、
wikipediaのエピソード一覧の1 各話リスト、wikipediaの関連作品、
脚本集の魔法少女まどか☆マギカ The Beginning Storyを参照した
※脚注は自分の考えも含んでいるので、あしからず
*1…マギカ(Magica)は「魔法の」を意味するラテン語
第1話「夢の中で逢った、ような……」(マミ編)
・鹿目まどかが夢を見る
何かと戦う少女(ほむら)とまどかに自身と契約して魔法少女になることを勧める謎の白い生き物(キュゥべえ)
・まどかの家族との触れ合い(働く母・詢子、主夫の父・知久、幼い弟・タツヤ)
友達との触れ合い(見滝原中学校の2年生の美樹さやか、志筑仁美)
結婚できない担任・早乙女和子と中沢のかけ合い
・まどかが夢で見た暁美ほむらが転校して来る。
彼女は何故かまどかのことをよく知っており、「今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないことね」と警告する。
・放課後、まどかが「夢の中で逢った、ような……」と言い、さやかと仁美に笑われる
・まどかとさやかが、謎の白い生き物(キュゥべえ)とそれを殺そうとしているほむらに遭遇する。
その後、2人でその生き物を助けようとして、謎の空間に迷い込んでしまう。
・巴マミ(中学3年生)という魔法少女が2人を助ける
・キュゥべえが皆に感謝し、「僕と契約して、魔法少女になって欲しいんだ」と頼む
第2話「それはとっても嬉しいなって」(マミ編)
・マミが魔法少女が有す宝石・ソウルジェムについて説明し、契約は慎重に行うよう忠告する。
キュゥべえが契約の内容を説明する(因みにキュゥべえは普通の人には見えない)。
具体的には、どんな願いでも1つだけ叶う。その代わり、人を襲う魔女と戦い続けなければならない(*1)。
・母がまどかに願いについて聞かれた際、職場の不満について語る(*2)
・ほむらも魔法少女であり、まどかが魔法少女になることを阻止しようとしていることが明らかになる。
マミによると、「(同業者は)手柄の取り合いになってぶつかることもある」(*3)。
・マミが魔女と戦い、魔女の卵・グリーフシードを入手する。
彼女によると、これで濁ったソウルジェムを綺麗にして、消耗した魔力を回復させることができる。
・マミの戦いを見たまどかが彼女に憧れ、「それはとっても嬉しいなって」と言う
*1…この契約は、相応の苦労をしないと対価を得られない社会の厳しさを暗喩している
*2…利害しか考えられなくなった大人の象徴
*3…同僚でさえ敵になり得る大人の社会における競争を示唆している
第3話「もう何も怖くない」(マミ編)
・さやかが入院中の彼女の想い人・上条恭介にCDを渡す。
彼はヴァイオリニストだったが、事故で指が動かなくなっている。
・マミが魔女の手下・使い魔と戦う。
彼女やキュゥべえによると、使い魔は倒してもグリーフシードを落とさない。また、成長すると魔女になる。
・マミの願い事が明らかになる。彼女は交通事故で瀕死だったため、自分が助かることを願うしかなかった(*1)。
・キュゥべえがまどかの潜在能力の高さについて力説する
・父が働く母を褒める(*2)
・まどか達が病院前で孵化直前のグリーフシードを発見し、マミに助けを求める
・マミが孤独であることをまどかに打ち明け、「もう何も怖くない」と悟る。
しかしその直後に魔女にあっけなく殺されてしまう。
・ピンチになったまどかとさやかにキュゥべえが契約をせまる。
それをマミと対立していたほむらが止め、魔女を倒す。
そして「目に焼きつけておきなさい。魔法少女になるってそういうことよ。」と言う。
*1…マミが慎重に契約するよう要求しているのは、それだけ魔法少女として働くことの厳しさを知っているからである。
特に彼女は交通事故で瀕死だったので、生半可な願いで契約して欲しくないという強い思いがあるのだろう。
*2…子供のために嫌な仕事もやる大人を示唆している。
そしてそれは願いのために汚れながら魔女と戦う魔法少女に近い。
その意味で魔法少女になることは「大人になるための通過儀礼」とも言える。
第4話「奇跡も、魔法も、あるんだよ」(さやか編)
・マミが死ぬ瞬間を見てしまったまどかとさやかが魔法少女になることを躊躇う
・ほむらが魔法少女になろうとしないまどかを歓迎する
・恭介が事故で指が動かなくなったせいでヴァイオリンを弾けなくなったことを嘆く。
それを見たさやかが「奇跡も、魔法も、あるんだよ」と言い、
恭介の指を治すためにキュゥべえと契約して魔法少女になる。
・まどかが集団自殺しそうになっていた仁美達を助けようとして、魔女に遭遇してしまう。
それを魔法少女になったさやかが助ける。
・佐倉杏子が登場する
第5話「後悔なんて、あるわけない」(さやか編)
・指が動くようになった恭介がヴァイオリンを弾く。
さやかがそれを聴きながら「後悔なんて、あるわけない」と言う。
・佐倉杏子(*1)が登場し、使い魔を倒そうとしているさやかを止め、
使い魔がグリーフシードを有す魔女になるまで待つよう忠告する。
そして人・魔女・魔法少女の力関係を単なる食物連鎖とみなし、その考えに反発するさやかと喧嘩する。
・ほむらが喧嘩を止める
*1…杏子は非常に自己中心的な子である。また、使い魔が魔女化するのを待っている点では、功利主義者とも言える。
残酷で我ままな子だが、過酷な社会で生き延びていくうえで必要な資質を有している。
対してさやかは(まだ幼いのもあるが)人間らしい倫理観を持つ義務論者である。
理想を知っている子だが、過酷な社会では生きられない性格を有している。この性格が後の彼女の破滅に繋がる。
因みに、功利主義者とは、最も幸福な結果をもたらす行為のみが最善だと考える人のこと。ベンサムが有名。
彼らは幸福感が少しでも高まるのであれば、多少の犠牲があっても構わないと考える。
対して、義務論者は、そのような損得勘定を否定し、道徳性や動機を重視する。カントが有名。
第6話「こんなの絶対おかしいよ」(さやか編)
・キュゥべえが「きゅっぷい」と言いながらグリーフシードを食べる
・ほむらがゲームセンターにいた杏子に「ワルプルギスの夜」が2週間後に来ることを告げ、協力を呼びかける
・さやかが自分の利害だけを考えている杏子に敵対する
・まどかが正しいことをすればするほど壊れていくさやかの件について母に相談する。
対して母があえて間違えることを勧める(*1)。
・恭介(の気持ち)がさやかから離れ、音楽に傾倒していく
・まどかがさやかと杏子の対決を見て「こんなの絶対おかしいよ」と言い、
2人の対決を止めるためにさやかのソウルジェムを投げ捨てる。
そのせいで、さやかが倒れてしまう。
・キュゥべえが、実は魔法少女の魂はソウルジェムの中にあり、肉体は抜け殻に過ぎないことを明かし、
魂のありかにこだわる人間に対し「わけがわからないよ」と言う
*1…綺麗事だけでは生きていけない大人の世界を示唆している
第7話「本当の気持ちと向き合えますか?」(杏子編)
・自分が人間ではないことを知ってしまったさやかが恭介に会い辛くなる
・杏子(*1)が父の教会でさやかに以下のような自分の過去を打ち明けたうえで、利己的な生き方を勧める。
杏子の父は正しいことを追い求め過ぎる正直な聖職者で、常に他人のことを憂える人だった。
その性格が災いし、ある時に教義にないことまで信者に説いてしまい、信者や本部から見放された。
そのせいで、家族は食べ物さえ事欠く生活を強いられた(それゆえ、杏子は今でも食べ物を粗末にする者を嫌う)。
そこで杏子はキュゥべえに「皆が親父の話を真面目に聞いてくれますように」と願った。
その結果、教会にたくさんの信者が来るようになった。
しかし、ある時にそのカラクリがバレてしまった。
父は憤り、杏子を「魔女」と罵った。そして酒に溺れ、心中した。
結局、他人の幸せを願った杏子のせいで、家族が壊れてしまった。
しかし、さやかはそれでも自分の信念を貫き、あくまで他人のために戦おうとする。
・仁美が退院した恭介への好意をさやかに告白し、「本当の気持ちと向き合えますか?」と言う
・さやかが魔女と戦いながら、精神的に壊れていく
*1…言うまでもないが、杏子は他人のために生きようとし過ぎたかつての自分(や父)とさやかを重ねている
第8話「あたしって、ほんとバカ」(杏子編)
・さやかが恭介に告白する仁美や打算的なホスト(*1)を見て、精神的に追い詰められていく。
杏子がそんなさやかを気にかけるようになる。
・まどかがさやかを救うためにキュゥべえと契約しようとする。
それをほむらがキュゥべえを殺すことで阻止し、まどかへの強い想いを明かす。
・新しいキュゥべえが「きゅっぷい」と言いながら自分の死骸を食べ、「君に殺されたのはこれで2度目」(*2)と言う。
そしてほむらがこの時間軸の人間ではないことを見抜く。
対してほむらがキュゥべえを「インキュベーター」(*3)と呼ぶ。
・さやかが「あたしって、ほんとバカ」と言い、自身のソウルジェムを限界まで濁らせ、杏子の目の前で魔女になる。
すなわち、魔女の正体は魔法少女の成れの果て。
*1…ホストが自分に貢いでくれるキャバ嬢を揶揄している。詳しくはニコニコのショウさんを参照。
とはいえ、キャバ嬢達もまた、揶揄されているとはいえ、愚かな客から高い金をむしり取っているわけだから、
キャバ嬢の客・ホストに貢ぐキャバ嬢・ホストの関係は、人・魔女・魔法少女の関係に等しく、
その間で一種の食物連鎖が起きていると言える。この「食物連鎖」という発想は第5話で杏子が的確に指摘している。
*2…因みに1度目は第1話のまどかとの接触前(第10話参照)
*3…孵卵器(incubator)。ソウルジェムから魔女を孵化(incubate)させるキュゥべえの役割を示唆している。
第9話「そんなの、あたしが許さない」(杏子編)
・キュゥべえ達の目的が明らかになる。
要するに、彼らの目的は宇宙の寿命を延ばすこと。
彼らによると、宇宙のエネルギーはエントロピー(*1)の増大によって目減りしてしまう。
そのため、彼らは魔法少女が希望から絶望へ相転移して魔女になる際に発生する、
熱力学第二法則(エントロピーの法則)に縛られない大きなエネルギーを回収することで宇宙を維持している。
彼らは知的生命体の感情をエネルギーに変換する技術を有しているが、
自分達自身が感情を持っていないため、人間(特に第二次性徴期の少女の感情)を利用している。
・杏子がまどかと協力して魔女になってしまったさやかを説得しようとする。
(その際、軽い気持ちで魔法少女になろうとしているまどかを咎め、「そんなの、あたしが許さない」と言う)
しかし2人の試みは失敗する。結局、彼女は魔女になったさやかと心中してしまう(*2)。
・「ワルプルギスの夜」に立ち向かえる魔法少女がほむらだけになる=まどかの需要が高まる
*1…エントロピーや熱力学第二法則は実在する科学用語だが、所詮は架空の話なので、深読みしすぎるのはよくない。
ここでは宇宙を維持するために一部の人間が犠牲になっているという構造が分かれば十分である。
また、そうした人間の犠牲にキュゥべえがまったく罪悪感を抱いていない点も見逃せない。
それどころか才能のあるまどかの自己犠牲に期待してさえいる。
要するに、キュゥべえ達は個々の人間の生き死にに拘る「感情」がないため、
宇宙全体の厚生が上がるのであれば、人類の犠牲が多少あってもよいと考えている。
これは第5話の脚注で説明した「功利主義」そのものである。
さらに言えば、キュゥべえのエネルギーに対する価値観は、現実の原発問題に対する原子力ムラの価値観に近い。
何故なら原発も僅かな犠牲を払うだけで莫大なエネルギーを回収できる仕組みだからである。
キュゥべえなら「原発でたくさんの人の生活が豊かになるなら、ちょっと不健康になってもいいじゃないか。
なぜ君達はそんなに脱原発に拘るんだい? わけがわからないよ。」とでも言うのだろう。
しかも本作の放送中に本当に原発事故が起きているわけで…あまりにもタイムリーすぎる内容である。
因みに新・怖いくらいに青い空がキュゥべえと原子力ムラの共通点を的確に見出している。
*2…敵対していた2人だが、他人のために生きようとする本来の性格は最期まで似通っていた。
そのことは第7話の杏子の過去を見れば容易に理解できる。
第10話「もう誰にも頼らない」(ほむら編)
・ほむらの過去
・入院していた三つ編みにメガネの気弱そうなほむらが転校してくる。
保健係のまどかが彼女を歓迎する。
・魔女に襲われているほむらを魔法少女のまどかとマミが助ける。
しかし、2人とも「ワルプルギスの夜」に殺されてしまう。
・ほむらが、キュゥべえに「鹿目さんとの出会いをやり直したい」と願い、時間遡行できる魔法少女になる。
しかし、同じ時間の平行世界を何度繰り返しても悲劇的な結末にしかならないことを知る。
そしてまどかに過去に戻って魔女にならないですむ世界にすることを託される。
・ほむらが、「もう誰にも頼らない」と言い、まどかのために孤独な戦いを始める。
キュゥべえを殺し(*1)、まどかとキュゥべえの接触を阻止する(ここで第1話に繋がる)。
*1…ここでほむらが初めてキュゥべえを殺す。2度目は第8話を参照。
第11話「最後に残った道しるべ」(ほむら編)
・ほむらの時間遡行の繰り返しによって、まどかが背負う因果の量(=魔法少女としての潜在能力)
が高まっていたことが明らかになる
・さやかの葬式から帰宅したまどかが、インキュベーターと魔法少女の関わりの歴史をキュゥべえ(*1)から聞き、
その過酷な歴史(*2)にショックを受ける
・まどかの母と担任が飲み屋でさやかの死(やマミの失踪)を悲しみ、まどかを気にかける
・ほむらがまどかにこれまでの真相を涙ながらに打ち明け、
「(まどかを救うことが)最後に残った道しるべ」と言い、まどかの協力を断る
・「ワルプルギスの夜」がやって来る。
周囲の住民がそれをスーパーセル(非常に激しい嵐)と認識して避難する(*3)。
ほむらがたった一人でそれと戦い始める。
・まどかが、母親に自分の決意の固さを告げたうえで(*4)、避難所からほむらの所へ向かう
*1…繰り返しになるが、キュゥべえ達にとって、「感情という現象は極めてまれな精神疾患でしかなかった」
*2…とはいえ、この過酷な歴史のおかげで人類が進化してきたこともまた事実である。
キュゥべえが「(自分達がいなかったら)君達は今でも裸で洞穴に住んでたんじゃないかな」と明言している。
*3…因みに、この話を放送する直前に、現実でも東日本大震災が起き、多くの人間が避難することになった。
その意味で、あまりにもタイムリーすぎる内容である。
wikipediaの7 放送によると、結局、第11話と最終話は「自粛」を理由に4月まで延期されたらしい。
一時は放送が危ぶまれたが、そのおかげ(?)で噂が広まり、かえって話題になったようである。
これが本作が売れた理由の一つかもしれない。
*4…初めて親に反発して自分の判断で動き出す子供(=主人公の自立)を表現しているのだろう
最終話「わたしの、最高の友達」(ほむら編)
・まどかが「全ての魔女を生まれる前に消し去りたい」と願い、魔法少女になる。
キュゥべえが「因果律そのものに対する叛逆だ」「君は本当に神になるつもりかい?」と動揺しながら言う。
・まどかが「希望を抱くのが間違いだなんて言われたら、私、そんなのは違うって、何度でもそう言い返せます」と言う
・まどかの願いにより、宇宙が再構築される。まどか自身は魔女を生み出さない概念と化す。
時間遡行できるほむらだけがそれを見届ける。
・すべてが見える(*1)ようになったまどかが、ほむらの気持ちを理解し、彼女に「わたしの、最高の友達」と言う。
そして赤いリボンを渡し、消える。
~~~ここで新世界に~~~
・さやかがヴァイオリンを弾く恭介を見届け、仁美に彼を託す。
そして「円環の理」(≒まどか)に導かれて、消える。
・魔法少女のほむら・マミ・杏子がさやかの消滅を嘆く(*2)
・まどかの弟が地面にまどかの絵を描く(「見えない友達」としてまどかを認識している)。
まどかの母がほむらが身につけているまどかの赤いリボンに強く反応する。
・ほむらがキュゥべえに前世では魔法少女が魔女になる際に発生するエネルギーが利用されていたことを話す。
キュゥべえがその話に興味を持つ(*3)。
・魔法少女達が魔女の代わりに現れるようになった人の世の呪いによる魔獣と戦うようになる。
キュゥべえも魔女の代わりに魔獣からエネルギーを得るようになる。
・前世の記憶を持つ唯一の存在となったほむらが、まどかが創った理想の世界を守るために、新世界で戦い続ける(*4)
*1…『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』の人類補完計画における生命のスープに近い状態と言えよう
*2…新世界では、魔法少女が魔女になることはないが、ソウルジェムと共に消えてしまう。よって、完全な解決には至っていない。
また、新世界なので、ほむら以外はまどかのことを覚えていない。悲劇的である。
*3…大事な伏線。これが『[新編] 叛逆の物語』におけるキュゥべえの行動に繋がる。
*4…結局、まどかがいくら理想の社会を描いても、ほむらがそれを支え続けなければならない構造になっている。
脚本家の虚淵玄らしいディストピアな世界観が最後まで貫かれている。
・オープニングテーマ
「コネクト」(*1)…1~9、11話。10話、最終話ではエンディングテーマとして使用された。
*1…wikipediaの6 音楽によると、歌詞や映像は(まどかを想う)ほむらの気持ちを表現している
・エンディングテーマ
「また あした」…1、2話
「Magia」…3~8、11話。1、2、10話では挿入歌として使用された。
「and I'm home」…9話
※2012年10月に公開された『劇場版 魔法少女まどか☆マギカ [前編] 始まりの物語 [後編] 永遠の物語』
は単なるテレビアニメ版の総集編なので、無理してすべて見る必要はない。
特に1~8話を扱っている前編は、カットされているシーンがたくさんあるので、お勧めできない。
9~12話を扱っている後編と『[新編] 叛逆の物語』の予告をチラッと見ておけば十分である。
~考察・感想~
・本作はなぜ売れたのか?
・タイムリーな内容で、世相を反映していた。話題性があった。
たとえば「ワルプルギスの夜」は放送中に起こった東日本大震災のようだった。
2ちゃんねる・ニコニコ動画・ツイッターにもそのような言及がいくつもあった。
しかも、地震のせいで放送が4月まで延期されたので、その間に本作の噂が広まって、ますます注目された。
これは第11話の脚注*3で触れた。
また、キュゥべえのエネルギーに対する功利主義的な価値観は、
現実の原発問題に対する原子力ムラの価値観に近かった。これも第9話の脚注*1で触れた。
・誰しもが悩む普遍的な倫理問題がテーマになっていた。
たとえば、第5話の杏子とさやかの対立は功利主義と義務論の対立を象徴している。これは第5話の脚注で述べた。
また、宇宙全体が維持されるのであれば、人間の犠牲が多少あってもよいというキュゥべえの発想と
それに対するまどかの反論も、同じ問題である。これも第9話の脚注*1で述べた。
この功利主義と義務論の対立は、現実でもあちこちで起こっている。
たとえば医療現場では、多くの人を救うために、しばしば功利主義的な判断をして、一部の人の救命を諦める。
それに対し「現実的にはそうするしかない」と開き直る人もいるし、「本当にこれで正しいのか」と悩む人もいる。
本作はこうした生きていくうえで避けられない、普遍的な問題を随所でほのめかしていた。
・子供達が大人になっていく姿(成長物語)を描いていた。
願いのために汚れながら魔女と戦う魔法少女の姿は、家族のために嫌な仕事もやる大人の姿に近い。
その意味で、魔法少女になることは「大人になるための通過儀礼」を象徴している(第3話の脚注*2を参照)。
また、まどかの父や母が、随所で綺麗事だけでは生きていけない大人の社会をまどかに示唆している。
(第2話の脚注*2、第3話の脚注*2、第6話の脚注*1を参照)。
加えて、第11話のラストでまどかが初めて親に反発して自立している(第11話の脚注*4を参照)。
これらを考慮すると、本作は主人公であるまどかが最終話で大人になることを決断する成長物語である。
(ただし、個人ではなく社会の幸せを願ったという点では、ちょっと特殊な成長だったとも言える)
・オリジナルなので、どんな話になるのか分からなかった。それゆえ、最後まで緊張感があった。
既存のライトノベルや漫画が無難な形でアニメ化されている中、これだけ未知数で続きが気になる内容だった。
・可愛らしい絵柄であるにもかかわらず、重たい内容なので、ギャップがあった。
特に第3話のマミの死はセンセーショナルだった。
・(単純に)脚本が秀逸だった。
12話以内という制限がある割には、よくまとまっていたと思う。
脚本家の虚淵玄さんの能力と彼の能力を見出した制作陣を高く評価したい。
・冬アニメなのでライバルが少なかった(一般に番組数が最も少ないのは年度末)
・なぜ我々はキュゥべえに苛立ってしまうのか
第一に、「人間をモノのように利用する人間味のない敵だから」。これは簡単。
第二に、「人間もキュゥべえのような考え方を無意識のうちにしているから」。
たとえば、肉を食べられるのは、(程度の差こそあれ)動物を殺しているからである。
動物の犠牲を一切許さないという規範を作ってしまうと、良質な動物性タンパク質を摂取できない。
だから合理的に考えれば、生態系を維持できる程度の屠殺なら許されることになる。
あるいは、豊かな生活ができるのは、(程度の差こそあれ)自然環境を破壊しているからである。
僅かな環境破壊も許さないという規範を作ってしまうと、工場一つ建設できないので、生活水準が向上しない。
だから合理的に考えれば、地球環境を維持できる程度の破壊活動なら許されることになる。
つまり、我々人類も以上のような極めて打算的な考え方を採用している点では、キュゥべえと同類である。
(程度の差こそあれ)人間もキュゥべえのような功利主義を無意識に採用することで生きているし、
それによって(少なくとも物質的には)どんどん豊かになっている。
それゆえ、自分達の残酷な面を見せつけられているようで、ますますキュゥべえに苛立ってしまうわけである。
さらに言えば、第11話でキュゥべえが
「(自分達がいなかったら)君達は今でも裸で洞穴に住んでたんじゃないかな」と明言しているので、
皮肉なことに、キュゥべえの(考え方の)おかげで人類の生活が豊かになっているとも言える。
・ハッピーエンドと言えるか?
主人公のまどかが魔女が生まれない秩序のある世界を再構築したという点では文句なしのハッピーエンドだが、
以下の点ではバッドエンドでもある(これらは最終話の脚注でも触れた)。
・まどかが魔法少女になることを防げなかった
・まどかが人間ではなく概念になって孤立してしまった
・魔女にはならないが、円環の理に導かれて消えてしまう
・魔女の代わりに現れた魔獣と戦い続けなければならない
・前世の(特にまどかの)ことをほむら以外誰も覚えていない
これらを考慮すると、「最高のバッドエンド」といったところか。